Z's Days

毎週末更新中!日々起こった出来事を日記として付けています。ガンプラ記事多めです(笑)

うた・ウタ・歌・詩・唄②

こんにちは。Ziosです。

夏休みが終わってしまいます。また学校の始まりです。

勉学の勘を取り戻さねば…

 

さて、先週に引き続き、今回も「歌」について語らせてください。

約束します。次回はトールギスのレビューをします。

だから今日は忘れないうちに歌について語らせて…

 

前回は「歌」そのもの、「歌う」ことに対する意識・考え方について語らせていただきましたが、今回は「歌う」という行為について考えていきます。あくまで持論です。誰の否定も、肯定もするつもりもありません。あらかじめご了承ください。

 

結論からいうと、私は「歌う」ということは「エゴイズム」の具現化であると考えています。

「エゴイズム」とは、「〈利己主義〉と訳され,一般に自己の欲望の充足と利益の追求をもっぱらとする否定的な態度をいう。〈利他主義altruism〉に対する。語源的には自我主義というべきで,自我の完全な実現あるいは自己の利益が人間の行為の目標であり,あらゆる倫理の基盤であるとする考え方。」とされているそうです。(https://kotobank.jp/word/エゴイズム-36335 引用元)

「歌」とは、「この景色が素晴らしい」「この感情を他と共有したい」「このどうしようもない感情を吐き出したい」という動機から作られるものであると思います。純粋な動機から作られた歌、であるならばの話ですが。

この時、全ての感情の起点は「作者」に起因するものであるのです。わかりやすく、言葉を選ばずに言うならば、「俺が歌いたいから」作られた歌に含まれる全ての要素は「俺が感じたもの」であると言うことです。ある歌に共感できる部分があったとしても、その部分は作者の作った、もしくは感じた感情に似たものを感じている、いわば二次的な感情を抱いているに過ぎないと言うことです。少し冷めた見方かもしれません。

このことから、私は「歌う」という行為は、「歌い手・作り手」の思いを起点としたエゴであると思っています。これは悪い意味でいっているのではありません。

だからこそ、私は歌うときにまず何よりも大事にしているのは「自分の感情を表現する」ということです。それをできないなら歌う意味はないと考えています。

音程やリズムの取り方など、技術的な面は多少あるでしょう。ただそこは歌う上で「できて当たり前」の部分。感情表現はそれらを前提としていかに「自分」を表現するか、ということです。これは好き嫌いによってわかれるところ。ですので、私は「万人ウケする歌い方」を目指すのは、個人的にはどうなのかなと思っています。結果として多くの人に「うまいね」と言っていただけるのはありがたいことですが、先も述べたように、私は「自己表現」を第一としていますので、歌のうまさとはニアリーイコールのような関係であり、目標と直結しているわけではないのです。

歌うことを生業とはしていない、ある種自由な立場のわたしは、この考えを自らの芯として、まず「自己の表現」、そしてそれを他者に伝える「技術」を磨きたいと思っています。

 

さて、今回はここまで。長々と語ってしまいました…

次回レビューできるように準備しておきます。

 

それでは。