満足な豚よりも 〜その1〜
こんにちは。Ziosです。
雪が少ないとはいえ寒いですね。まだ2次試験があるので風邪はひきたくないものですが…
さて、今回から少しの間、身勝手ながら私が受験勉強期間中に感じた事について記事にさせていただきます。
理由の2割は復帰後の慣らし運転ですが、8割は「周りの人になんと言われようと、自分のスタイル(取り組み方)に自信を持って勉強に励んでほしい」というメッセージを残すためです。
それでは。
タイトルですが、「満足な豚よりも」。
これは倫理修得者なら聞いたことがあるはず。J.S.ミルの言葉です。
「満足な豚よりも、不満足な人間であるほうが良い。満足な愚か者よりも、不満足なソクラテスのほうが良い。」
部分間違っていたらすみません…
今回は久しぶりにちゃんと考えてタイトルをつけました。いつも適当というわけではないです…
このたび何回かに分けて私が語っていく内容の主題が、まさにタイトルの通りということです。
前回の記事でも少し述べましたが、「受験生」になると、教師や周りの友達と勉強に関する話をする機会が増えるでしょう。
その際に話題に挙げられやすいのは、「昨日何時間勉強した?」
この問いを発した友人は決して悪意があるわけでもなく、ただ単に気になっただけでしょう。そこを責めるつもりは毛頭ありません。
ですが、申し訳ありませんが私はこう返します。
「ごめんわかんねぇや。時間計ってないんだよね。」
会話を途切らせてしまいました。少し気まずくなってしまいそうですが、今回話す内容は、極端なことを言えばこういうことです。
勉強とは、自らの足りない部分を補うこと、また自らの強みをさらに発展させるために行うものです。苦手教科の復習や、得意な科目の演習も、全て自分のためです。当たり前ですよね。
そしてその成果は、例えば「テスト」で測られます。これは実技も同様です。体育では技能テストがあり、いくつかの項目の達成度合いで評価がなされます。あくまで学校での話ではありますが、センター試験までの考えとしてはまずは大丈夫だと思います。
すなわち、極論を言えば「結果を出すためのアプローチそのものは求められていない」のです。センター試験では素点のみを図りますし、大学の2次試験では個別試験のウェイトがやはり大きいです。学校の評価資料も鑑みるとはいえ、この関係は崩れることはないでしょう。
とすれば、私たちに求められるのは「いかに効率よく結果を出すための勉強を行うか」ということだと思われます。
そしてそれは先にも述べた通り、方法は1つに定まっていません。一番効率がいいのは、「自分に合う勉強法」です。
「自分に合う勉強法」は、一人ひとり異なります。何時間も机に向かい続けることで結果を出せている人がいるなら、それはその人にとってあっているやり方なのかもしれません。
ですが実際そんなことができる人は限られてきます。現に私もそう長く続けられる人間ではありませんでしたが、センター試験で8割を超えることができました。旧帝大への挑戦権を得ることができるくらいですね。受かるかどうかは五分五分でしょう。(私は旧帝大志望ではありません)
私のやり方は、万人に当てはまるものではないと思います。ものすごい出オチ感…
ですが効率を高めれば、たとえ何時間も机に向かわなくても相応の成果は出せる物だと、考えていただきたいです。
かなり長くなってしまったので、具体的に私がどういうことを心がけて勉強したかについては次回に。
それでは。Ziosでした。