Z's Days

毎週末更新中!日々起こった出来事を日記として付けています。ガンプラ記事多めです(笑)

うた・ウタ・唄・歌・詩

こんにちは。Ziosです。

マジで忙しい…

あと少しで夏休みが終わると思うとちょっと憂鬱ですね…

 

今日は定期的にやる持論記事です。今回は「うた」について。アカペラをやっている私ですが、私が考える「うた」について、じっくり語っていきたいと思います。ガンプラ?今日はお休みです…

 

では。

私が歌に抱いている感情を端的に表すと、「Song is Soul.」という言葉になります。すなわち、「唄は魂」ということです。この「唄」という漢字にも後々触れます。

「うた」というものは、1人の人間がいて、「このどうしようもならない感情を吐き出したい」「この感情を伝えたい」など、内部から溢れんばかりの「魂」を具現化したもの、と考えています。そんな曲ばっかじゃねーよ、とか突っ込まれそうですが、あくまで「私は」そう考えている、という話として受け取っていただきたいです。

私自身稚拙ながら作詞・作曲をして自前の歌を十数曲作ったことがありますが、その時は大元にこのコンセプトを置いて創作活動を行いました。また既製曲に関しても、とりわけバラードはその傾向が顕著だと言えます。何も伝えようとしないバラード曲を聞いたことがありますか?私はないです。知らないだけかもしれませんが…

とにかく、「歌は感情を伝えるもの」ということが伝わったかなぁと思います。

次に歌を「歌う」行為に目を向けてみると、漢字がたくさんありますね。当て字大好き夏目漱石氏が飛び上がって喜びそうなほどです。

歌、唄、詩… 読み方としてはざっとこんなものでしょうか。

上の3つについて、私が抱くイメージをお話しすると、理想形は「唄」です。辞書的な意味はここでは置いておきます。ご了承を。

「歌」というのは、可能の「可」を2つ書いたとなりに「欠」けると書きます。この漢字の書き方が、「音程や綺麗さなどを取って上手い歌を歌おうとすると、何かが欠けてしまうのではないか」と感じてしまうのです。勝手に。

先も述べた通り、「歌」は己が身の丈を精一杯に表現するものです。よってこれでは、大事な「魂」がすり減ってしまうのはないか。私は密かにそう考えています。

では、「詩」ではどうか。

悪くはないんです。「作る」段階ならば。

「詩」は歌詞に重きを置いた表現だと思います。歌詞を大切にして、丁寧に、かつ情熱的に作り上げる。これは素晴らしいことです。

しかし、「作る」ことと「歌う」ことは違います。

この表現ではその点を混同してしまっているように感じます。

よって最後に残した「唄」が一番良いのでは、と私は考えます。

「唄」という感じは民謡を唄う際に用いられるようですが、私はこの漢字の「貝」に注目しました。

その昔、平安時代には「貝合わせ」という貴族の遊びがありました。たしか貝の裏面に描かれた絵を合わせる、というようなものだったような…

その際に、平安時代ですから和歌も読まれたことでしょう。この「和歌」は、貴族が自らの才能を見せようと、短い音の中でどのように情景を込めるか、またどのように感情を歌い上げるか考え込まれたもの。現在は歌のみが残っていますが、詠まれた当時は声色にまで気を配っていたのでは、と私は思います。

この「歌に真摯に向き合った」スタイルこそが、私の目指す「唄いかた」です。

(和歌は政略結婚のために利用された節もあったので、一概に真摯に作られたかと言われると閉口せざるを得ないですが)

 

ともかく、ここまで色々と語ってきましたが、私は「歌とは己が身を削り、真摯に歌い上げるもの。」としています。

これを目標に頑張っていきたいものです。

 

今日はここまで。

それでは。