「無駄」にも種類があるだろうというお話
こんにちは。Ziosです。
自転車通学にもだいぶ慣れました。楽ですね。
バスだと迂回することになるので、なるべくは自転車で行きたいものです。
さて、今回は「無駄」のお話。
最近哲学記事が多いのは、自分の中の考えをまとめるためです。許して…
では。
例えば、勉強する際になるべく効率よく行いたいとします。この時に望まれる勉強法は「1つの知識を複数の分野に応用する」ことでしょう。地理で覚えた植生の知識を生物に応用したり。
これは「無駄」の少ない、効率的なものと言えると思います。
ただ今回は、「有益な無駄」と「無益な無駄」のお話です。今の話は何だったのか…
そう。今の話は全く関連性のないお話。内容は有益かもしれませんので、「有益な無駄」としておきましょう。
このように、無駄には「やっておくことで(即時的な効果はなくとも)自分にとって利益がある」という「有益な無駄」と、「ただの浪費であり、全く必要ない」という「無益な無駄」の2つがある、と私は考えています。
今回の話は、前者を除け者にせず、後者と分別してより効率的にしよう、というものです。結局効率論に落ち着く。
「無駄」に対して、どんなイメージを抱いていますか?
「経験を積むために積極的に取り入れるべきだ」「ただの浪費だ。無意味」など、様々なものがあると思います。
ただ、これは様々な「無駄」を混同して考えている状態。先に挙げたように無駄を2種類に分けて考えれば、無益なものを取り入れるのも、有益なものを切り捨てるのも、非効率的であると言わざるを得ません。「最小労力で最大効率」をモットーにしている私としては許しがたい状態です。
ということで、お気づきでしょう。つまり、「有益な無駄」を取り入れて、「無益な無駄」を排除できるよう、「無駄」を自分の中で分別できるようになればいいのです。
この価値判断は、最終的には個人の尺度に委ねられます。何が有益で何が無益かは人によりますので、私がとやかくいうことではないでしょう。
ただここまで「分別しろ」と言いながら、いざその話になると「自分で考えろ」では、あまりにも無責任すぎます。ブラック企業も納得するレベルです。
ですので、あくまで参考ではありますが、私が普段用いている判断基準をいくつかここに挙げていこうと思います。
私は先にも挙げたように、受験期を経てだいぶ効率論に偏って偏屈な野郎になった人間です。ただ受験期を迎える前までは「苦労はなるべく背負って経験を積むべき」と強く思っていました。その傾向は効率論に傾くにつれて弱くなりましたが、「経験を積むことが自分にとってプラスになる」という軸は残っています。
そのため、ここで挙げたような「しっかりとした分別」を行えているわけではありません。割とガバガバですσ(^_^;)
私の場合はこうです。
(1)行為に将来性があるか
即時的なものでなくとも、自らにプラスの影響を及ぼすのであればある程度は無駄でも取り入れます。
(2)「ロス」は少ないか
いくら有益であっても、「ロス(無駄)」が多ければ有益な割合は相対的に下がってしまいます。そう言った「無駄」は無理に取り入れなくてもいいのでは、と私は考えています。
あとはその時の体調であったり、忙しさによりますが、基本的な基準はこの2つ。そんなに変なものではないと思いますが…
今回はここまで。
なんで模型の話がないのかって?
そんなに進んでいないんです…
プランニングは済んではいますが、やはり塗装がね…
それでは。